連載コラム/私の視点・社会の支点
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永田町の活断層
参考人招致
先日、参議院の「少子高齢化・共生社会に関する調査会」に参考人として招致されました。私が国会に入るのは十数年ぶりのことであり、前回は小学生だった二人の子どもを連れての議事堂見学でした。今回は、「少子高齢化とコミュニティの役割」をテーマに、ひとり暮らしが増加するなかで「社会的孤立」を解消するためのコミュニティのあり方やその課題について意見を述べました。国会議員の方々からはとても熱心にたくさんの質問を頂きました。
国会の参考人招致とは、国政調査権のひとつとして国会が国政一般について専門家や関係者の意見を聞くための制度です。しかし、国民の間には少し異なったイメージがあるのではないでしょうか。私の周囲の人でも今回の参考人招致を聞いて、「一体、どんな悪いことをしたのか」と冗談交じりに言う人がいました。
確かに予算委員会での参考人招致に関するマスコミ報道などを見ていると、将来の国民生活を左右する予算審議のための意見聴取というよりは、何か政治的スキャンダルを解明するような印象があります。国民のなかには何故、予算委員会で政治疑惑の解明を行っているのか不思議に思う人も多いのではないでしょうか。
また、今国会でも「政治とカネ」の問題を巡り多くの貴重な審議時間が費やされましたが、国会における国会議員の品のないヤジの応酬に対して、日本経済新聞2010年1月29日朝刊は、『国会も「学級崩壊」?』という見出しを付けました。
「○○君」と「○○先生」
国会に入って国会独特の慣習による面白い体験がありました。テレビの国会中継などでよく耳にするように、国会では議員はじめ参考人を「○○君」と呼びます。同席した某大学の学長も民間企業の女性役員も「○○君」と呼ばれました。
今日では君付けの呼称は同僚や目下の人に対して使われることが一般的ですが、かつては尊敬の念を表わす敬称として用いられたそうで、それが国会内では慣例として使われているようです。しかし、かつて国会でも衆議院議長を務めた土井たか子さんが慣例を破って、衆議院本会議で国会議員を「○○さん」と呼んだことがありました。
もうひとつの国会の慣習として、多くの場合、議員を「○○先生」と呼ぶことがあります。以前、NPOと国会議員の対話集会に参加したときのことですが、そこで議員同士が「先生」「先生」の応酬をし、NPO参加者のひとりが「この場ではお互いにさん付けでやりませんか」と提案したことを覚えています。
このように国会の参考人招致のイメージや「○○君」、「○○先生」といった呼称は、何か国民の感覚と少しズレているような気がしてなりません。今年(2010年)2月に行政刷新大臣に就任した枝野幸男さんは、記者会見の席で大臣と呼ばれることに違和感を感じるので「枝野さん」と呼んで欲しいと要請しました。昨年、国会と国民との意識のさまざまなズレの蓄積が政権交代という大地震を引き起こしましたが、これからも永田町の中を走る活断層の動きには十分注視する必要があるのではないでしょうか。