連載コラム/私の視点・社会の支点
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「共助」という仕組みの“YOU・I”社会
個人の問題・社会の問題
これまで私的問題だったことが、社会の問題として捉えられることが少なくないように思います。例えば従来、高齢者介護は本人や家族の私的問題でしたが、高齢化の進展とともに介護施設ができ、2000年には介護を社会全体で支えるために公的介護保険制度が導入されました。
また、子育ても従来は家庭で営まれる私的行為でした。共働き世帯は「保育に欠ける」という理由から保育所が設置されてきましたが、共働き世帯が増加し保育所整備は普遍的な少子化施策になりました。近年では、在宅で子育てする人の社会的孤立が問題になり、専業主婦世帯などへの在宅子育て支援も行われるようになっています。
わが国では98年以降、毎年3万人以上の人が自殺しています。それは国家の人材損失という観点からも個人的な問題として看過できず、その抑止を社会的次元で捉えることが不可欠になりました。そして平成18年には自殺対策基本法が制定されています。
また、私たちのライフスタイルは個々人の嗜好に委ねられていますが、地球環境問題が深刻になり、エネルギーを大量に消費する暮らし方は自ずと制約を受けるようになりました。私たちは自らのライフスタイルを社会的次元で捉える必要性が高まっているのです。このように現代社会は多くの個人の問題を社会の問題として扱わねばならない時代になっているのではないでしょうか。
「自助」と「公助」のはざま
個人の問題は第一義的には個人が自分自身で解決することが求められます。すなわち「自助」ということです。それが社会の問題であれば社会制度として誰もが使える「公助」の仕組みが必要です。しかし社会にはこれら「自助」と「公助」だけではこぼれ落ちてしまう問題がたくさんあります。また、自分だけで解決することが困難であっても、「公助」に頼らずに済むような問題もあります。このような個人と社会の中間領域の問題を解決する上で重要な役割を果たすのが「共助」という仕組みです。
本来、社会の問題解決システムは、「自助」「共助」「公助」といった多様な仕組みが重層的に存在してこそ、われわれは安心して暮らすことができます。近年、多くの個人の問題を社会の問題として捉えねばならないようになってきた背景のひとつは、現代社会が「自助」と「公助」の中間領域の「共助」の仕組みを喪失しているからだと思えてなりません。
人々のつながりが希薄になり、分断された個人の集合体としての社会では、家族や地域コミュニティなどのインフォーマルな機能がなくなりつつあります。日本は本格的な人口減少時代を迎え、われわれがこれからの少子高齢社会を安心して生きていくためには、社会のセーフティネットとしての「公助」の社会制度づくりとともに、その隙間を埋めていく人々のつながりによる「共助」の仕組みづくりが必要なのです。それは言い換えると、「あなた」と「わたし」が支え合う“YOU・I”社会の実現ではないでしょうか。