連載コラム/私の視点・社会の支点
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ワールドカップ2010
誤審の謎
1ヵ月にわたるサッカーのワールドカップ南アフリカ大会が、スペインの初優勝で閉幕しました。普段は特別なサッカーファンでなくてもワールドカップの華麗で迫力あるプレーに魅了される人は少なくないでしょう。私もそのひとりです。岡田ジャパンは大会前の評判はあまり芳しくなかったものの、1次リーグ初戦のカメルーン戦で素晴らしい勝利を収めました。そして決勝トーナメント進出がかかったデンマーク戦では芸術的ともいえるフリーキック2本が決まり、日本国内のボルテージも最高潮に達しました。
私のようなにわかサッカーファンには不思議に思えることがあります。サッカーの広いピッチに立つ選手や審判にとって、選手とボールの動き全体を常に正確に把握することはとても難しいでしょう。従って誤審が起こることもよくわかります。しかし、後からビデオ映像などで明らかに得点に絡む誤審だった場合でも、判定結果は覆らず、それでも選手たちがそれを受け入れることができるのは何故なのでしょう。
決勝トーナメントの日本対パラグアイ戦で120分の死闘後のPK戦、ゴールを外した駒野選手を他の仲間たちが暖かく励ます姿は、ゲームの勝敗に関わらず全力を出し尽くした選手たちの素直な気持ちの表れでしょう。選手も審判も死力を尽くした真剣勝負をしている、そして勝敗を超えた世界を感じている、だからたとえ誤審があってもその判定に従うことができるのではないかと思えるようになりました。
キョウソウ社会
今回の岡田ジャパンは予選リーグが始まってから試合毎に結束を強め成長したと言われます。岡田武史監督は「一人ひとりの力は小さくとも、日本は1プラス1を3にするようなチームだ」と繰り返し語っています。そして、「サッカーがチームスポーツであることを証明する」とも言ってます。ベスト8をかけた決勝トーナメントのパラグアイ戦を見ていると本当にそのことが伝わってきました。
今日の日本社会は経済効率を求めて猛烈な競争を繰り広げています。企業においても成果主義の下、従業員は自分の成績を上げることに必死で、残念ながら部下の育成や他者への配慮などの余裕は見受けられません。もちろん競争が個人の能力や組織の効率性を高めることは確かですが、それが組織全体の最大の成果につながるのかどうかは疑問です。
今回の岡田ジャパンでは、一人ひとりの選手が特徴を活かし、全体の状況を把握して連携する姿がピッチの内外で見られました。結束力のあるチームプレーは、スポーツという「競争」の場においても、人と人との「協創」がより大きな成果につながる可能性があることを示しているのだと思います。
サッカー・ワールドカップ2010が私たちに見せてくれたのは、世界最高レベルで競い合う熾烈な「競争社会」の姿と、それを超えたところにある本当のチームワークが生み出す「協創社会」の姿だったのではないでしょうか。