連載コラム/私の視点・社会の支点
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与える人・与えられる人
おおきな木
私は子どもが小さかった頃、よく子どもと一緒に絵本を読みました。「からすのパンやさん」、「ちいさいおうち」、「百万回生きたねこ」などなど。そんな中で当時、子育てをする親に大変強い印象を与える絵本がありました。シェル・シルヴァスタイン作の「おおきな木」(原題は“The Giving Tree”)です。最近、村上春樹さんによる新訳版(あすなろ書房)が出たのを知り、早速、購入して読み返してみました。
この絵本はりんごの木と少年の話です。少年は大きなりんごの木の下でよく遊んでいました。少年がだんだん大きくなり、ある日、お金が欲しいというとりんごの木は実を売るように言いました。家が欲しいというと枝を切って使うように言いました。舟が欲しいというと木の幹を切って舟を作るように言いました。りんごの木はとうとう切り株になってしまいました。やがて少年は歳をとって老人になり、安らぐ場所を求めてりんごの木のところに戻ってきます。木は老人になった少年に切り株に座って休むように言います。それで木は幸せでした。
この絵本は、りんごの木の「無償の愛」を表現しているのでしょうか? りんごの木は少年にすべてを与え続けて本当に幸せだったのでしょうか? そこには様々な感想があるでしょう。村上春樹さんの新訳版の「あとがき」には、『あなたはこの木に似ているかもしれません。あなたはこの少年に似ているかもしれません。それともひょっとして、両方に似ているかもしれません。あなたは木であり、また少年であるかもしれません。』と記されています。
僕つくる人
私は子どもが小さかった頃、よく料理を作りました。トンカツ、天ぷら、おでん、スパゲティ、カレーなどなど。栄養バランスや添加物の有無、彩りにも気を配りながら作りました。時々、レパートリーを広げるために料理本も買いました。しかし、子どもたちが成人になり家を出てからは、ほとんど料理を作らなくなってしまいました。
かつて「私つくる人、僕たべる人」というテレビコマーシャルがありました。料理を「つくる人」と「たべる人」に固定的に性別役割を決めてしまうのは残念なことです。なぜなら、料理には「つくる人」と「たべる人」の両方に大きな楽しみがあるからです。おいしい料理を作ってもらうことはとても魅力的ですが、一方、料理を作ってあげる人がいるのはとても幸せなことです。「つくる人」にとって「たべる人」がいるから作る意欲も涌き、楽しみも大きくなるのだと思います。
世の中には一方的にただ「与えるだけ」の関係はなく、それを受け止める「与えられる人」がいます。そして「与える人」は同時に「与えられる人」でもあります。寄付する人は英語で“Giver”といいますが、寄付も与えるだけのものではありません。寄付が人の役に立ち、それが社会に活かされることによって、寄付者も「与えられる人」になるのです。「おおきな木」も「料理つくる人」も「寄付する人」も、世の中の「与える人」はみんな「与えられる人」であり、「与えられる人」はみんな「与える人」なのではないでしょうか。