連載コラム/私の視点・社会の支点
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平成マイタウン物語
ピアノと寄付
私は千葉の海辺に近いニュータウンに住んでいます。1995(平成7)年に街開きが行われ、当時は小学校も児童数が少なく、運動会は学年別競技も難しいほどでした。その後、次々とマンションが建設され、今では2万数千人が暮らしています。2002年に図書館、音楽ホール、公民館が一体となった公共施設が建設されました。建設に当たっては住民同士で研究会を作り、住民が望む施設像を熱心に話し合いました。そのひとつが、『音楽ホールで本格的な音楽会が開けるといいね』というものでした。そのためにはホールに1千万円以上もするフルコンサート用グランドピアノが必要でした。
このような高価なピアノを税金で購入できるわけはなく、住民自身が寄付を集めることになりました。最初、地元企業にお願いしたところ、地元のホテルが『寄付は出来ないが、ホテルのチャペルを貸しましょう』といってくださり、そこで住民のプロの演奏家によるチャリティコンサートを開催し、そのチケット代をピアノ購入資金に当てることになりました。
住民の寄付活動を継続しながら何回かチャリティコンサートを行い、ようやく目標額の半分ほどが集まり、イタリア製コンサートピアノを購入しました。ただ、購入金額にはまだ数百万円不足していたのですが、その後、この活動を知った篤志家の方が残りの全額を寄付してくださり、このピアノは名実ともにわが街の財産になりました。今でもこのホールでは演奏会の他に毎月1回、このピアノを希望する住民が自由に弾くことが出来る会が催されています。
優勝パレードと紙吹雪
わが街の最近の出来事としては、千葉ロッテマリーンズの日本シリーズ優勝パレードがあります。マリーンズがパ・リーグ3位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、中日ドラゴンズとの激戦を勝ち抜いて日本一になるとは思いもしませんでした。
優勝が決まり、わが街で優勝パレードが行われることになりました。早速、住民による実行委員会も結成され、優勝パレードでは住民が沿道のマンションから新聞紙を切った紙吹雪を撒くことになりました。前回2005年のバレンタイン監督時代の優勝パレードでは、私もわが家のマンションの通路から紙吹雪を撒いたことを思い出します。今回は少しパレードのルートが変わり、私は沿道から声援を送ることにしました。
当日は晴天に恵まれ、青い空から無数の紙吹雪が舞いました。先頭のオープンカーの西村監督の温和な笑顔、続く井口、西岡両スター選手の風格ある姿、オープンデッキのバスから身を乗り出すマリーンズ選手や球団スタッフの笑顔、どれも本当に素晴らしい感動を与えてくれました。
パレードが通り過ぎると、通りにはびっしりと降り積もった紙吹雪の山。やがて沿道の住民とファンが一斉にゴミ袋を持って後片付けを始めます。住民パワー全開、あっという間に街路はすっかり元のきれいな状態に戻りました。そしてパレードが過ぎ去った後の静寂さの中にさわやかな感動が漂っていました。平成生まれの新しいわが街の音楽ホールに置かれた一台のピアノや毎日何気なく通る街路には、こんなマイタウン物語が秘められています。