連載コラム/私の視点・社会の支点
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『津波てんでんこ』 ~高齢化と大津波
震災から半年
東日本大震災から半年になる9月初旬、私は初めて岩手県の被災地を訪れました。沿岸部の陸前高田市から大船渡市、釜石市そして宮古市へと入りました。最初に訪れた陸前高田市役所の中は泥まみれの什器や書類が散乱し、まるで被災直後から時間が止まってしまったかのようでした。4階建ての団地も最上階まで窓ガラスがなくなり、津波がその高さまで押し寄せたことがわかります。釜石市では巨大な船が堤防に突き刺さったままで、いかに津波のエネルギーが巨大であったかを感じさせます。宿泊した宮古市で早朝に散歩に出てみると、街の中の信号機が消えている交差点が数多くあり、全国各地から派遣された警察官が交通整理に当たっていました。震災から半年が経っても、まだまだこれまでの日常生活とは程遠い現状を目の当たりにしました。
三陸地方では『津波てんでんこ』という言葉があります。これは『津波が来たら自分だけでも高台に逃げろ』という津波防災の教えです。巨大津波は一瞬にして街中を飲み込んでしまうので、少しの躊躇が地域住民すべてを犠牲にしてしまうからです。しかし、予め決められた避難路は急峻な坂道や階段も多く、自宅から一人では避難できずに亡くなった高齢者も大勢います。高齢化が進展した今日、地域全体で助け合う新たな避難方法を考えることが必要です。たとえ千年に一度の大津波であっても人命だけは守ることができるように高齢者や障害者など移動制約者の避難も確実にしておかなければなりません。
高台移転
被災地では復興計画づくりが始まっていますが、大津波を避けるために集落全体を高台移転することを検討している地区もあります。岩手県大船渡市三陸町の吉浜地区では明治の大津波により壊滅的な被害を被ったことを教訓に高台に住宅を集団移転し、低い土地を田畑にしました。その結果、昭和の大津波や今回の平成の大津波でも大きな被害が出ていません。また、岩手県宮古市重茂の姉吉地区には昭和の大津波後に先人が残した『此処より下に家を建てるな』という大津浪記念碑が建っています。今回、その教えに従った同地区では全ての家屋が無事だったといいます。
一方、高台移転をするための適地が見つからずに別の対策をとった地域もあります。平成15年に「津波防災の町宣言」を行った岩手県宮古市の田老地区では、沿岸部に巨大な堤防を二重に構築してきましたが、今回の大津波は大堤防を易々と乗り越え、さらに一部を破壊して街全体に壊滅的な被害をもたらしました。
三陸海岸の街の多くは漁業・水産業を中心とした風光明媚な所です。そこでは暮らしと生業が一体となり、高台に住んで海辺で仕事をするといった単純な職住分離は難しいのです。地元の人たちは津波という脅威と隣り合わせに暮らしながらも、海の幸のおかげで生業が成り立ち、これまで豊かに暮らしてきたことを忘れてはいません。海と向き合う暮らしの中に三陸地方独特の風景が展開し、文化・風土も根付いているのです。津波からの安全を確保しながらどのように自然と共に生きる街づくりを進めるのか、難しい課題です。