連載コラム/私の視点・社会の支点
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「友達」と「知り合い」
東日本大震災から1年が経とうとしています。震災を機に人々の絆が深まったと言われます。家族の絆、夫婦の絆、地域の絆など、人と人とのつながりの大切さが再認識されました。先日のバレンタインデーには、感謝や励ましなど様々な気持ちを込めて多くの人から人へとプレゼントが贈られました。昨年の世相を表す日本漢字能力検定協会の「2011年 今年の漢字」にも「絆」が1位に選ばれました。
この「絆」という字には2通りの意味があります。一つは『人と人との断つことのできないつながり』であり、もう一つは『馬などの動物をつないでおく綱』という意味です。後者は「絆し(ほだし)」とも読み、『人の行動の自由を縛るもの、自由を妨げるもの』という意味になります。このように「絆」には二面性があることがわかります。
以前、地方都市に講演に行った時、市の職員の方が町を案内してくれました。その人はまち往く人みんなと挨拶を交わしていました。しっかりと地域 コミュニティが根付いているのだと感じました。『この町では子どもがどこで遊んでいても、常に大人の目があるから安心です。にわか雨が降ってきても、近所の人が洗濯物を取り込んでくれます』と言われました。そして続けて『でも、今晩居酒屋で飲んでいると、明日の朝には役所の人間にそれが知れ渡っているのです。そんな暮らしが嫌で町を出ていく人もいます』と言われました。
この話を聞いて、地域コミュニティの長所と短所を思い浮かべました。これまで日本の地域コミュニティには強いつながりがあり、そこでは互助機能が働き、地域の課題を協働して解決してきました。しかし、それが徐々に失われつつあり、高齢化した町では今年の大雪の雪降ろしで多くのお年寄りの死亡事故が発生しています。
一方、地域の強い絆は時として地域共同体の同一性を求め、異質なものが排除されることがあります。そのために自由を束縛する「絆」に息苦しさを覚える人もいます。しかし、人々は社会から孤立するのではなく、替わって緩やかなつながり〝ウィーク・タイズ〞と呼ばれる社会的な関係性を求めているのです。その結果、携帯メールやソーシャルネットワークといわれるコミュニケーションツールが普及しています。
その代表的なものとしてフェイスブックがあり、全世界で数億人が使っているといいます。ここでは多くの「知り合い」から「友達」リクエストがくることがあります。なかには名前を聞いた程度の人もいます。それも積極的に「友達」と捉えることが必要かもしれませんが、私にはやはり「友達」と「知り合い」には大きな関係性のギャップが感じられます。
東日本大震災でアメリカは「トモダチ作戦」と命名して被災地の救援活動を展開しましたが、「シリアイ作戦」ではこうは行かなかったと思います。夫婦や家族の絆も相手を「絆す(ほだす)」ものではなく、対等な関係性による「友達夫婦」や「友達家族」と呼ばれることがありますが、これらが「知り合い夫婦」や「知り合い家族」になってしまっては少々寂しい気がします。
緩やかなつながり〝ウィーク・タイズ〞は現代社会において重要な人間関係のあり方だと思いますが、人間関係にもメリハリが必要で、一部には「お節介なつながり」〝ストロング・タイズ〞が存在してもよいのではないでしょうか。「お節介」が文字通り〝節度ある介入〞である限り、コミュニケーション不全社会を豊かなコミュニティに変えていく力になると期待されます。