連載コラム/私の視点・社会の支点
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幸せの 「老い支度」
自分を活かす 「終活」
最近、大変な「終活」ブームです。大型書店に行くと、エンディングノートのコーナーがあり、関係図書が並んでいます。中身を見ると、葬式、墓、遺産相続など死後に対処が必要な項目の整理や生前の遺影撮影、認知症への対応、延命治療の要否など、様々な「終活」内容が記入できるようになっています。また、自分が生きてきた証を残したい、人生の最期をもっとポジティブに生きたいというウェル・エイジングの「終活」もあります。
この「終活」ブームの背景には「一人暮らし」が増え、死後に回りの人に迷惑をかけたくないという“おひとりさま”社会のニーズがあ ります。高齢化が進む日本は世界で最も長寿な国のひとつですが、今後は単身世帯が増加して高齢者の社会的孤立が拡がるなど、高齢期の暮らしの質が低下することも予想されます。
しかし、人は社会との関係性の中で自分の役割を見つけ、自己肯定感を抱き、「自分が何者であるのか」というアイデンティティを持ちます。それが自分の居場所をつくり、生きがいや幸福の源泉にもつながります。つまり高齢期を「よく生きる」とは自分自身が社会の中で「よく活きる」こと、「よく活かされる」ことです。
今年(2012年)10月に101歳になる聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは『自分のためにではなく、人のために生きようとするとき、その人は、もはや孤独ではない』と言われています。最期まで活き活きと暮らすためには他者との関係性を維持することが重要です。そして何らかの社会的役割を担うために自分を活かす「終活」が必要なのではないでしょうか。
「しない後悔」 より 「した後悔」
人生100年時代と言われますが、この長寿時代を幸せに生きるためにはどうすればよいでしょう。私の場合は、「老い支度」における重 要なキーワードは「後悔」ではないかと考えています。「後悔」については、エッセイストの酒井順子さんが次のように書いています。
『何かをしてしまったことによる後悔は、もしかすると若い時代のものかもしれません。「した」ことによる後悔の味があまりに苦す ぎて、人は次第に何もしなくなる。結果、「しない」ことによる後悔ばかりが、募ることになる。(中略)ばかな事をするのもばかだが、なにもしないのもまたばかなのだよ』(2004年12月23日週刊文春)と。
私には行動を伴う意思決定をする場合、ひとつの原則があります。それは「熟慮した結果、それでも迷った場合は、必ず実行する」ということです。実際、実行して失敗し、後悔することもあります。しかし、「あの時、やっておけばよかった」と後悔するよりはいいと思っています。
日野原さんは、『何か新たなことを始めるのに、年を取り過ぎていることはない』と常々言われています。失敗を恐れず、新たな学びと チャレンジは人生をわくわくさせるものです。私も最期まで輝き続けるために「しない後悔」より「した後悔」を選びたいと思います。そこにこれからの幸せの「老い支度」のヒントがあるように思います。