理事長ブログ

2020.05.10

第22回 母の日の白いカーネーションに思う

在宅勤務が続く中、散歩道に咲く春の花々に心浮き立ち、癒されている。
道すがら、花屋の前を通ると、カーネーションがいっぱいだ。今日は母の日だ。今年は、気のせいか、赤いカーネーションがひときわ華やかに感じられる。そして、ふっと、昔あった白いカーネーションを思い出した。母の日には、小学校で、お母さんが亡くなった子は、赤ではなく白いカーネーションを配られていた。それは、小さな子には可哀想だということで、廃止され、赤に統一されたという。
その後、調べたところによると、母の日は1910年にウェストバージニア州で始まり少しずつアメリカ全土に広まっていき、1914年には正式に「母の日」として制定されたそうだ。ウェストバージニア州の知事が、「5月の第2日曜日を母の日にする」と宣言するに至った背景には、アンナ・ジャービスという女性の働きかけがあったのだそうだ。アンナの母親であるアン・ジャービスは、かつてアメリカの南北戦争で負傷兵のケアを行ない、アンは、負傷兵の衛生状態を改善する「マザーズデー・ウォーク・クラブ」を立ち上げ、敵兵のケアも献身的に行なっていた(ボランティアの起源でもある)。アンが亡くなった2年後の1907年5月12日に、娘のアンナは亡き母を追悼する会を教会で行ない、母親が好きだった白いカーネーションを参加者に配り、これが「母の日」の起源だという。そして、母親が存命の人は、赤いカーネーションを贈ったら、というアンナの発案で、今の赤いカーネーションが、母の日のシンボルになったらしい。 小学生当時、子どもながらに白いカーネーションに、違和感を覚えつつ、自分の母親へのプレゼントのことを考えることに精いっぱいで、白いカーネーションを受け取った子どもの気持ちをそれほど慮っていなかったと思う。先生は、一言、添えて渡していたのかもしれないが。

翻って、コロナ禍の母の日に、改めて気づかされる。私たちは、全員、コロナ禍の影響下にある。だから、自分のことで精一杯。医療従事者への感謝、マスクの動向など、自分ごとに近いことには思いを馳せやすい。ただ、その中で、二次災害と言うべき差別も起きている。いちばん被害が大きいのは、高齢者や貧困層、病人、障がい者など、もともと支えが必要な人たちがより困難を抱えている現状だ。自分自身が当事者だから、なかなかそこには、思いが向かいにくい。

白いカーネーションは何を教えてくれたのか、と改めて考えてみた。
With corona, After corona は、よく言われてきた共生社会の実現以外に、進むべき道はないように思う。母の日という誰にでも関係のある日に、白いカーネーションをもらった子どもの気持ちを、想像する力を持ちたいものだ。コロナ問題も同じだ。皆、コロナと向き合っている。でも、困難は一律ではない。より困難な状況と向き合わなければならない人たちのことを想像し、共に生きるために・・・。
Dare Care Share を提唱したい。
Dare  自分も我慢が必要、困難もある。でも、敢えて、他者の事に心を馳せてみる
Care  そして、自分が役に立つこと、できることを真剣に考えてみる
Share     そして、共に支え合い、分かち合う。

これが、フィランソロピーの本質だと思っている。
コロナ禍のピンチを契機に、Dare Care Shareで、世代を超えて、立場を超えて、それぞれが幸せを感じる共生社会創りの礎を創りたい、と願う。