巻頭インタビュー

Date of Issue:2022.12.1
巻頭インタビュー/2022年12月号
住岡健太さん
すみおか・けんた
 
1985年生まれ。広島市出身の被爆3世。10代でアメリカ留学、アジア一人旅を経験。21歳で社会企業サークルを立ち上げる。25歳で起業し、経営する飲食店が第6回居酒屋甲子園で準優勝。ビジネスプロデューサーとして活躍したのち、2019年スティーブン・リーパー氏が設立したNPO法人Peace Culture Village に参画。
https://peaceculturevillage.org/
「平和×ビジネス」で平和活動のプラットフォームを目指す
NPO法人 Peace Culture Village 専務理事
住岡 健太 さん
NPO法人 Peace Culture Village(PCV)は、広島を訪れる修学旅行生を対象に平和記念公園を巡るツアーなど、平和教育を通して活動を展開しています。「大事なことは誰かの平和の答えを聞くことではなく、自分にとって平和とは何かを考えること」祖母の原爆体験を聞きながら育ち、「平和とは何か?」を人生のテーマに世界を巡った住岡健太さんに、PCVの活動に込めた思いを聞きました。
飲食業ビジネスでの成功を手放し 広島で平和活動をスタート
― このところ民主主義の危機と言われていますが、立ち止まって考えるとやはり平和の危うさです。若い世代は、平和についてどう考え行動していくのか、未来に向けてどんな社会をつくりたいのか。住岡さんにいろいろうかがいたいと思います。
住岡 かたちや表面を変えても根本が変わらない限り課題はなくなりません。「戦争反対」はもちろんですが、NOだけでなく、YESも伝えていきたい。子どもたちに平和教育をやっていますが、「戦争」というと戦車、ミサイル、銃といったイメージがわくけれども、「平和」となると鳩やハートを思い浮かべるなど抽象的で、具体的なイメージがわかない。でもそれぞれに平和があっていいはずで、家族で一緒に食事をする瞬間、皆で一緒にスポーツをする時間が 平和と言う人もいるでしょう。皆が平和のイメージを持てるような世界になればいいと思っています。
― 自分たちだけがよければそれでいいというのではなく、立場や境遇を超えて、人として感じ合える。「共感」が大切ですね。若い時から平和活動に関心があったのでしょうか。
住岡 大学生のときに、NPO法人ネットワーク地球村に所属して活動したのが原点です。世界の現状を学んで、たくさんの気づきがありました。自分たちの生活が環境に悪い影響を与えているという現実を知った時に何とかしたいと思って、友人たちにも話したのですが、理解してもらえなかった。
孤独になって、人と会えなくなり、1年ぐらいひきこもりになりました。それから、アジアに一人旅に出かけたのですが、いろいろな人と出会うことで意識も変わり、自分はまだまだ一生懸命に生きていないなと感じました。帰国して、まずは飲食業というビジネスでがんばって、30歳になったらソーシャルビジネスに挑戦しようと決めました。
― スタートは飲食業だったのですか。
住岡 「てっぺん」という居酒屋で修行し、独立して1年目で「居酒屋甲子園」で準優勝しました。
― 独立してわずか1年で、なぜ準優勝できたと思われますか?
住岡 挨拶や掃除など、基礎をしっかりやったからだと思います。当たり前のことを大切にする。それを教えてくれたのは、株式会社てっぺんの大嶋啓介さんと吉田将紀さんです。お二人に育ててもらいました。辛いこともありましたが、あの時期があって今があると思います。それからメディアにもいろいろと取り上げていただいて、他業種からコンサルティングの依頼が入るようになりました。
― ビジネスで成功された住岡さんが、なぜ広島で平和活動に取り組むようになったのでしょうか。
住岡 いわゆる成功路線に乗ってしまいましたが、もともとは平和のために何かやりたいと思っていて、ビジネスで成功したかったわけではありません。広島に戻るきっかけになったのは、31歳のときに父が急逝したことです。まだ59歳の若さでした。父を尊敬していましたから、とても悲しかったです。葬儀には500名以上の方に参列していただき、小さな町に渋滞が起こりました。皆さん涙ながら父の話をしてくださる。父は最後に人生を教えてくれました。広島で平和活動をすることはリスクもあるし、いままでの生活や仕事を手放さなくてはなりませんから、なかなか覚悟ができませんでしたが、広島に戻って活動をスタートさせました。
広島で核兵器が使われた事実をしっかりと伝える
― お祖母様が被爆者とうかがいました。
住岡 祖父母とも被爆者です。祖母は当時小学生で、火傷を負った人たちの看護をしていました。目の前で「水をくれ」という負傷者に水をあげられず、亡くなっていく人を見ている。今でも「あのとき水をあげればよかった」と言います。子どものころからそういう話を聞いていましたが、アメリカを責めるという発想はあまりなくて、なぜこんなことが起こるのか、なぜ人は争うのかというクエスチョンがずっと頭に浮かんでいました。
― 頭の中の晴れないモヤモヤが平和への道を歩ませ続けている?
住岡 どうすれば世界が平和になるのか。今もはっきりとした答えはありませんが、問い続けています。被爆者の中には、自分だけが生き残ってしまったという思いをずっと抱えている方がたくさんいます。核兵器が使われた広島の事実は、しっかりと伝えていきたいです。
PCVが取り組む「平和×ビジネス」
― 平和活動はいのちを守るという根源的な運動ですが、結局のところ、戦争はいまだになくなりません。
平和X学び
 
「平和×学び」
住岡 他者との意見の相違は人間同士であれば起こることですし、そこから得られる気づきや成長もある。でも国家間の命を奪い合うような争いをどうすればなくせるのか。ずっと考えていて、「平和×○○」というコンセプトが浮かびました。例えば、サッカー選手であれば「平和×サッカー」で何ができるかを考えると自分事になる。企業も、得意分野を掛け算してみることによって自分事になる。自分にとって平和とは何かを考え、自分らしさや得意なことと掛け合わせることで、活動する人も幸せになる。「△△反対」は怒りのエネルギーですが、「平和×○○」という、この2つがセットになったときに、持続可能な平和活動になるのではないか。
自分が幸せであれば、誰かの力になりたいと思うでしょう。これからは幸せな平和活動をつくっていきたい。そのためには、自らの well-being やアイデンティティを見つめることが大事です。
― その「×」の柔軟性はビジネスの手法が生きている! 自分事にすれば、「平和」は地続きのものになりますね。PCVとのご縁は?
住岡 創設メンバーで現在代表理事を務めるスティーブン・リーパー(Steven Leeper)は広島平和記念資料館を運営する公益財団法人広島平和文化センターの理事長を辞めたあとに、三次市で持続可能な生活をするための村づくりをやっていましたが、寄付金だけの運営で資金が尽きるような状態でした。もう一人、メアリー・ポピオ(Mary Popeo)は大学在学中に広島と長崎を訪れて、2016年から広島に移住して平和活動に取り組んでいます。二人ともアメリカ人で、広島で活動して世界に平和のメッセージを発信している。日本人として何とかしなければと思い、自分がかかわることで事業化できるようなNPOにしようと思ったのがきっかけです。
― まさに導かれるように出会われた。スティーブンさんはビジネスが得意ではなかったんですね。
住岡 活動家ですからね。いまはPCVの象徴的な存在で、私がマネジメントを担当しています。
平和活動をアンタッチャブルにしない
― PCVの取り組みを教えてください。
ホロコースト記念碑
 
ドイツ・ベルリンのホロコースト記念碑
住岡 PCVの活動は「平和×ビジネス」を目指していて、B to C よりも B to B ビジネスに力を入れています。広島で平和活動をするのはセンシティブなところがあるんです。戦後75年に初めて平和記念公園で有料のガイドツアーを始めましたが、平和=ボランティア、平和をビジネス化することに好意的でない人もいますし、平和公園でピースサインをすることをよく思わない人もいます。人それぞれに価値観がありますので。
でもポーランドの アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館 などは、しっかりとお金を循環させながら、平和を継承する仕組みができています。広島では小中高校で平和教育をやりますが、大人になって活動につなげている若者が非常に少ないんです。
― 多くの人は、平和は大事だけれども日常生活とは別にしたいと思っているのでしょうね。ベルリンのホロコースト記念碑は、多くの人がくつろぐ場になっています。一方で、犯した罪は常に忘れない、思い起こさせる仕掛けもある。だからこそ未来に向かえる。歴史と未来がつながっています。タブーにしてしまうと、逆に考えなくなりますよね。
住岡 広島の平和が、アンタッチャブルになっている。それが課題です。個人も企業も、皆で平和を考えるようにしたい。「平和と戦争」ではなくて、「平和と文化」―文化は生き方ですから。これは広島で生まれた言葉です。
― 平和は、日常の暮らしに根付いて初めて文化になる。平和を文化にしたいですね
ガイドツアー
 
平和記念公園のガイドツアー
住岡 広島には年間30万人の修学旅行生が来ています。私たちが始めた平和学習の取り組みは、平和を語り継ぐ若者を育てて、ボランティアではなく、アルバイトとして活動してもらう仕組みです。平和活動を継続するにも資金が要りますから。被爆者でもこうした活動を好意的に思ってくださっている人もいます。PCVは、思想家や活動家、企業とも話し合えるのが強みです。ボランティアを否定しているわけではありませんが、選択肢がないのは問題だと思います。
平和をつくる仕事をつくる
― ボランティアでもアルバイトでも、本気で関わり、関心を持つ人を増やす、ですね。
住岡 PCVのスタッフで、お金をもらえるから参加しているという人は一人もいません。でも仕事になる、ということは伝えたい。「平和×○○」と同じぐらい大切にしているコンセプトが、「平和をつくる仕事をつくる」です。報酬を支払うのは、平和活動が仕事になるということをわかってもらいたいからです。そうすれば企業に就職するのと同じように、平和活動を目指してもらえるのではないか。
― 平和活動はやらなければ、対極の戦争が起こってしまうかもしれない。ほかのボランティアとはちょっと違いますね。収益は上がっているのでしょうか。
住岡 小規模ではありますが、利益の出る体質にはなっています。一番の収益事業は修学旅行生のガイドツアーなので、もう少し拡大できれば、より多くの人を雇用できると思います。ただ私たちは平和産業をつくりたいという目標があるので、PCVはひとつのモデルであって、もっといろいろな組織や団体、企業に参画してほしい。そのためのノウハウは提供していきたいと思っています。
― 企業も海外とも事業を行なっていますから、平和についてもきちんと考えなくてはなりませんね。
住岡 広島でも平和活動に取り組む企業が増えてきました。その思いや内容について子どもたちが見学できるような、そして見学した子どもたちが将来この企業に勤めたいと思えるような仕組みづくりができないかと考えています。今のPCVは、平和活動のプラットフォームだと思っています。
ピースバディーチーム
 
「平和×継承」PCVスタッフとピースバディチーム
― 企業もいい加減なことはしていられませんね。でも「平和×ビジネス」はなかなか言いにくい。
住岡 日本だけでなく、世界中で取り組むことが必要だと思います。アメリカの経営学者のフィリップ・コトラー(Philip Kotler)さんは、「マーケティングは時に愛と言われることがある。平和と愛が関連付けられるならば、マーケティングと平和も関係づけられる。日本の役割はピースマーケットをつくることだ」と言われています。これから日本が世界をリードしていくのは、「平和×ビジネス」であるピースマーケティング。これがつくれるとおもしろいですよね。
― その発想自体がおもしろい!
「世界中に友だちをつくっていくプロジェクト」で共に未来を考える
 
― ところで、日本はまだ核兵器禁止条約(TPNW/Treaty on Prohibition of Nuclear Weapons)を批准していません。広島県出身の岸田総理の手腕に期待したいですね。
住岡健太さん
住岡 オブザーバー参加も叶っていない現状です。平和と安全保障、両方の視点を持ちながら、バランスよく、段階を踏んで進めていく必要があります。「戦争反対」「核兵器をなくそう」だけではなくて、これからのピースリーダーは、両方の意見を理解したうえで、どのように導いていくかが重要だと思います。アメリカと広島の高校生のディスカッションでは、一方は「核兵器があるから平和なんだ」、もう一方は「戦争も核兵器もないほうが平和だ」と言う。ひとつの方向にまとまることは難しいと感じます。
― 両方とも平和を求めていることは同じですね。子どもたちや若者が国境を超えてつながる場は大事です。
住岡 2021年に世界44か国の人たちとオンラインスクールを開催しました。多くの人たちが意見交換できる機会はもっとつくりたいと思っています。
― 当協会は健全な民主主義社会を標ぼうしていますが、その中心にはもちろん平和があります。若者中心にPCVとご一緒に何かできるといいですね。
住岡 PCVとかかわるアンダー29も100名くらいいますから、何かできるといいですね。2023年5月に広島でG7が開催されますが、それをきっかけにまずはユースのメンバーを招待して、友だちをつくる機会にしたいと考えています。G20で20か国、いずれは世界196か国で共に未来を考える「世界中に友だちをつくるプロジェクト」をつくりたい。それこそが広島の役割ではないか。「戦争反対」をフィールドにするとハレーションが起こりそうですが、賛成・反対どちらがいたとしても、根本に友愛があれば、話し合いができます。そこで生まれたつながりは、おそらく今後も続くでしょう。
― 戦争を始めるのはだいたい男性ですが、征服欲、権力欲をもともと持っているからなのか、戦争がなくならない。
住岡 女性性をもった社会構築をしていく必要がありますね。いったん男性性の社会を崩して、男性性と女性性が統合した状態の社会を構築する。女性性がキーだと思いますし、ジェンダーを考えるうえでも、平和を考えるうえでもそこは非常に大切です。平和の第一歩は、女性性の発揮だと思います。
― 「平和×ビジネス」が確立する社会を目指したいですね。本日はありがとうございました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2022年10月26日 シェラトングランドホテル広島にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー/2022年12月号 おわり