能登で実践する新しい復興のかたち

一般社団法人能登官民連携復興センター センター長
藤沢 烈 さん

ふじさわ・れつ

1975年京都府生まれ。一橋大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て独立し、NPO・社会事業等に特化したコンサルティング会社を経営。
東日本大震災後、RCF復興支援チーム(現・一般社団法人RCF)を設立し、災害復興に関する情報分析や事業創造に取り組む。能登半島地震後、石川県が設置した官民連携復興センターのセンター長に就任。

一般社団法人能登官民連携復興センター(https://notorenpuku.jp/
一般社団法人RCF(https://rcf311.com/) 

2024年1月1日大地震に見舞われた能登半島。その後9月に発生した豪雨により、被害はさらに拡大した。過疎地域での度重なる災害は人口減少をさらに加速させる事態となり、コミュニティの存続も危ぶまれている。一方で、能登では復興に向けたさまざまな活動やプロジェクトが生まれている。2024年10月、行政と民間、全国と能登をつなぐ役割を担い、創造的復興を推進する中間支援組織として一般社団法人能登官民連携復興センターが設立。センター長の藤沢さんに、能登の復興と課題、これからの展開について聞いた。

福島と能登、復旧と復興

─ 藤沢さんは東日本大震災をきっかけに一般社団法人RCFを設立し、東北の震災復興に注力してこられました。当時、キリングループが「復興応援 キリン絆プロジェクト」を立ち上げて、当協会は農業支援の事務局を担当しましたが、その際にご縁ができましたね。そして能登半島地震後も現場に入られて、官民連携を軸に復興を支援されています。

藤沢 福島の復興についてはまだ不十分だと感じるところも多いのですが、本気で向き合ってきました。能登の現状も厳しい局面にありますから、誰かがきちんと向き合わなければなりません。復興に長く関われる人は限られていますから、個人的な思いだけではなくて、そういう役割を担える人間として全力を尽くさなければ、と思っています。

─ NPOも力をつけていますし、企業も社会貢献に力を入れている。ソーシャルビジネスも拡がってきています。しかし、社会全体、地球や自然環境の劣化のスピードは加速度を増していて、危機感も高まっています。SDGs の本質は「誰も取り残さない」ですが、なかなかうまく機能していないのは、活動している主体がコンフォートゾーンに身を置いたままだからではないかと感じています。もちろん、自分の暮らしや仕事があるわけですから、難しいことではありますが、本当にこれでいいのだろうか、何かできることはないかという思いを強くしています。藤沢さんはつべこべ言う前に、自ら現場に飛び込んでやっておられる。相当変わり者ですね(笑)。そのエネルギーはどこから?

藤沢 年齢を重ねると新しい現場に飛び込むことも大変ですが、気合を入れていくようにしています(笑)。誰かが関わらないと、という気持ちがありますから。

─ 特に福島県に深くかかわっておられましたね。福島ではどのような支援をされているのでしょうか。

藤沢 福島県の12市町村は、原発事故の影響で避難指示を受けて一時住めない状態になりました。一部の地域は解除されて戻れるようになりましたが、復興するには地域を支える人がどうしても必要です。
5年前から「ふくしま12市町村移住支援センター」で活動していて、仕事のほかに、住居、教育、医療といった情報提供も行ない、結果として年間800人が移住するようになりました。

─ 住民の暮らしに伴走し続けているのですね。

藤沢 はい。短期ではなく、長くこの地域に住みたいという方を支えることをメインにしています。住み続けるためには仕事だけではなくいろいろな要素が必要です。新しいコンセプトも大切ですが、人が暮らすために必要なことを一つひとつ作っていく。福島の皆さんが、本当に頑張られてここまで来たと思います。
能登と福島の事象は違いますが、近いところはあります。福島は原発事故によって長期に避難せざるを得なくなりましたが、能登の場合はインフラが大きなダメージを受けたために、長期での避難が必要になりました。そうなると戻って来られない方が多くなる。特に若い世代であるほどその傾向があって、これは地域にとってはダメージが大きいんです。

─ 能登は交通アクセスも厳しいですね。

藤沢 能登の場合はインフラが復旧したとしても、人が戻らないという問題が非常に根深いので、そこに目を向けてほしいと言い続けてきました。メディアの取り上げ方もあると思いますが、避難所でご苦労されている様子も重要ですし、インフラの復旧や家屋の解体などはわかりやすいですが、それだけではありません。長期的にこのまちをどのように復興させ、持続可能にするかというところになかなか目が向かないし、議論も進まないことは歯がゆく思っています。

─ 確かに、それがないと若者が未来に向かって住み続けられない。

藤沢 例えば、熊本などは人口も都市機能もあって地域としての基盤がありますから、ある程度復旧すれば、地域の力で復興できる。半導体産業なども誘致して経済も戻ってきています。でも能登の場合は、復旧すればあとは自動的に復興することはまずあり得ません。

復興に欠かせない企業支援

─ 官民連携という点で、企業としての役割、復興に関わることの意味や課題などについてはどのようにお考えですか。

藤沢 人口減少が最大の課題ですから、どう復興するかという以前に、ここで復興していいのかという問いを多くの被災者が持っています。家を再建するにしても、高齢の親が子どもに意見を聞くと、「もう能登に住まなくてもいいんじゃないか」と言われてしまう。そのときに行政のサポートが必要なのですが、復旧で手いっぱいで、自治体職員も精神的に疲弊しているのが現状です。

─ 非常に厳しい状態ですね。

藤沢 「新しい能登」というコンセプトを掲げて、復興に向けて変わっていく姿を見せなければならないわけですが、県にも余裕がない。政府がもう少しがんばってくれれば、と思いますが、それも簡単にいかない。だからこそ、企業の役割は大きいと思います。行政が新しいコンセプトを掲げると、「まずは被災者のことを優先で」とか「家もまだ再建できていないのにそんなことを言われても」となるし、「この地域を支援する」というと、「なんでそこだけ?こっちも大変なのに」となる。でも企業が新しいコンセプトで「この地域を支援します」というと、「ありがとう」と言われます。かつて一村一品運動がありましたが、一村一企業、一集落一企業でもいいんです。100人~200人の集落で企業ができることはたくさんあります。

─ そのための調整役として、センターがある。

藤沢 はい。状況は刻々と変化していますから、現場にいるわれわれが、2カ月後に支援するならこの地域で、この集落ではこういう活動が必要だとか、寄付のお手伝いなどを行なっています。人もお金もありがたいのですが、一番ありがたいのはコンテクストです。復興できないのではないかという言説がまん延している中で、「目に見える」企業の支援は非常に大事です。

─ この地域にはまだ可能性があり、価値がある。希望が持てると地元の人たちが思えることが大切ですね。東日本大震災のときも、「大手の企業がこんな僻地をわざわざ支援してくれるのは勇気づけられるし、うれしい」と地元の皆さんがおっしゃっていました。今持っている企業のブランド力が支援になりますね。

藤沢 企業も「なぜ支援するのか」ということをぜひ言葉にして発信していただきたいです。地域にとっても、また他の企業にとっても貴重なメッセージになると思います。2年経って、これからが大事なタイミングで、企業の出番だと思います。能登にかかわることが重要だという部分を私たちも一緒に考えていきたいですね。

─ 文脈づくりと戦略、コンサルテーションですから、藤沢さんのご経験も生かされていますね。

藤沢 キリングループは東日本大震災後に「復興応援キリン絆プロジェクト」で東北3県の農業を支援され、2013年には福島の和梨を使った「氷結」を全国販売しました。国や県が「福島の農産品は安全です」といくら言ってもなかなか信じてもらえませんでしたが、キリンという企業が売り出す商品だから安全だという信頼につながりました。企業だからこそ、です。

─ 和梨に続いて、桃の「氷結」も販売しましたが、まさに企業のブランド力ですね。

新しい「復興」能登から考える国づくり

─ センターではこれからどのような復興支援を考えていらっしゃるのでしょうか。

藤沢 能登の復興には時間もかかるし、難度も相当高いと思っています。見通しをつけるまでに何年もかかると覚悟はしています。
現在半年に1回ほど、経済同友会の20人ぐらいの経営者が能登でイベントを開催していて、知事や首長も参加して意見交換しています。経営者も単独で能登で何かしようと決断するのは難しいので、経済団体が動いてくださるのはありがたいですね。

─ 大変だと思いますが、広く周りを巻き込みながら能登の復興に携わるというのは、未来の日本のモデルづくりでもありますね。

藤沢 私は能登半島地震で「復興」が変わると思っています。人口がそれなりにキープできる都市であれば、復旧は可能。そうすれば、復興もできるでしょう。もちろん大変な苦労はありますが、神戸や熊本はある程度復興できたと思います。しかし東北も能登も復旧が復興につながらない。能登は高齢化率が50%を超えていますが、いずれは全国的にそうなります。つまり能登が半島だから大変なのではなくて、高齢化する中で大災害が起これば、どこの地域でも同じことになるわけですが、そこに対するアプローチは国も自治体も持っていない。だからこそ能登で、復興のモデルをつくることが必要なのではないかと思っています。
人口減少による過疎化は全国的な現象で、私はそれを「見えない津波」と言っています。いま何とかしないと日本は成り立たない。能登の復興は日本全体に関係するということを、皆さんにも考えてほしいですね。

──国造りのためのひとつのモデル、実証実験ということですね。

藤沢 はい。ただ具体策についてはまだ手探り状態です。例えば、能登半島全体で600ほどの集落があるのですが、元々人口減少が顕著だった地域ですから、すべてを維持するのは難しい。豊かに暮らせる状態をどうやってつくるのか。数百人の村でも、産業がしっかりしているところは維持できていますから、企業が関わることで集落を残す方法があるのではないかと考えています。
私がよく例として取り上げるのは、ホタテ産業で有名な北海道の猿払村です。人口は3,000人弱ですが、年収が3,000万円にもなるホタテ漁師がいることで、平均所得が全国6位になったこともあります。隠岐の島の海士町は教育面でもユニークな取り組みをやっています。人口が数千人でも付加価値をつけて魅力的な地域にすれば、住み続けられるのではないか。そうした魅力的な数百の集落をもう一度作り直す作業が復興なのではないかと思っています。

─ そのためには、子どもたちが人生の未来に可能性や希望、意欲を持てる環境づくりが必要です。教育が核になりますね。

藤沢 そのとおりです。復興とは突き詰めて言うと仕事と教育だと思います。補助金を出し続けるわけにはいきませんから、地域での生業はどうしても必要です。でも仕事だけでは住み続けられない。福島で移住支援をしていて感じるのは、仕事があると人は来るのですが、ライフステージが変わると離れる人もいる。住み続けるためには、教育は大事な要素です。老後を考えればもちろん医療も大事ですが、若い人たちが住み続けるには、まずは仕事と教育でしょう。

─ 能登という地域そのものが教材になりますね。自分たちの地域を何とかしたいと思えば、子どもたちも知恵を出したり、工夫したりするでしょうし、結果として学力も上がることにつながるでしょう。

藤沢 子どもたち向けの復興事業への補助もしていて、輪島には屋内運動施設ができました。被災地では学校の校庭が仮設住宅で埋まってしまうこともありますから、子どもたちが伸び伸びと遊んだり学べる環境は必要です。ただ被災者にすれば、子どもたちの施設よりも住宅を建ててほしいという気持ちがある。だからこそ、その部分は民間組織や企業が支援することで、喜ばれる。

─ 教育、介護、伝統産業などテーマは多様ですから、企業が力を入れやすい分野でモザイクのように地域を支援してくれるといいですね。

藤沢 私は、復興はカラフルにやらなければならないと思っています。能登には多様な集落がありますし、考え方も違います。だからこそ、企業に能登で何ができるかを考えてほしいですし、そのためのお手伝いや現地のコーディネートは私たちセンターの役割でもありますから、声をかけていただきたいですね。復興は、地域と丸ごと付き合っていかなければなりません。農業、教育、医療、伝統工芸も含め、人材不足は大きな問題です。

─ 災害対応としてNPOやボランティアセンターなどでは、まず人と組織のネットワークを考えますが、私は情報のネットワーク、メディアの役割も極めて重要だと思っています。広域ではなくて、自分の住む町、近所の情報をいち早く知るためにはやはり災害FMのような機能が大切ではないでしょうか。

藤沢 能登でも災害FMを立ち上げている地域もありますが、紙ベースや口コミもあります。福島で経験したことですが、地域を離れると途端に情報が途絶えてしまう。大きなメディアだと集落単位の細かい情報までは取れません。

─ そうなると心も離れてしまいますね。

藤沢 戻らなくてもいいか、となってしまう。重要なテーマですし、情報系の企業はたくさんありますから、支援していただけるといいですね。まちの復興や人が地域に戻るために、ローカル情報が重要だということを、私たちももっと発信する必要があると感じました。

─ センターの運営の財源は?

藤沢 センターの運営費は石川県が拠出しています。また、吉川晃司(きっかわこうじ)さんと布袋寅泰(ほていともやす)さんが結成された「COMPLEX」という音楽ユニットが、能登半島地震で13年ぶりに2日間ライブを開催し、13億円を寄付してくれました。この寄付金を活用して、能登の復興支援事業として、スポーツ施設や、親子が集える場所の整備、キリコ祭りの復興などに助成しています。制度も大事ですが、運用するにはお金が必要です。でも、制度を運用することが復興・復旧の業務になってはいけません。課題を解決するためのビジョンは描かなければなりませんし、そのためには財源の裏付けも必要です。石川県だけではとてもできませんから、国にももっと関わってほしいですね。

─ 日本全体のグランドデザインにかかわりますね。復興に向かう姿、新しい地域のかたちを見せるために発信も必要ですね。

藤沢 災害は場所を選びませんから、特定の地域だけの話ではない。能登でかたちをつくることが、日本のこれからのまちづくりにも生きてくると思います。福島の移住支援は5年前に引き受けたのですが、原発地域への移住には抵抗が大きいと思っていました。でもそれぞれの町の住民が絶対に立て直すんだという強い思いを持っていましたし、企業の支援もそれを後押ししてくれました。企業のコミットによって、行政や国もお金を出しやすくなります。

─ 企業の支援のあり方にも、「見えない津波」を押し戻すために、いろいろな可能性が見えてきますね。ありがとうございました。

【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
(2025年12月10日 新大手町ビル クロスリンク大手町にて)