機関誌「フィランソロピー」 2026年6月号
巻頭インタビュー
いのちと幸せに寄り添う在宅診療を目指す
医療法人社団しろひげファミリー しろひげ在宅診療所 理事長
山中 光茂 さん
やまなか・みつしげ
1976年三重県松阪市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科、群馬大学医学部卒業。2004年からケニアにおけるエイズ対策プロジェクトの立ち上げなどに関わる。2007年三重県議会議員選挙に立候補し当選。2009年松阪市長選挙に当選し、当時全国最年少市長となる。2015年9月退任。2018年しろひげ在宅診療所を開設。2025年6月、NPO法人しろひげ・たゆらかファンドを設立し、誰もが安心して過ごせる「居場所づくり」にも取り組んでいる。
医療法人社団しろひげファミリー しろひげ在宅診療所(https://shirohige.clinic/)

2018年10月東京都江戸川区に設立された、しろひげ在宅診療所は、常勤の医師やスタッフが24時間365日、在宅診療や訪問介護に対応可能な体制を整えている。一人ひとりの「あたりまえの幸せ」と「いのちと痛み」に寄り添い、「可能な限り、最期の瞬間まで在宅で」と願う患者や家族をサポートする。率いるのは多彩な経歴を持つ山中光茂さん。医療だけでなく福祉も含め、地域で「いのち」を支える仕組みについて、話を聞いた。
不登校、引きこもりだった少年期に地球の裏側を知る
─ 山中さんは、外交官志望から医師になり、三重県松阪市の市長もなさって、いまは在宅診療所をやっておられる。まさに異色の経歴ですが、原点はどこにあるのでしょうか。
山中 私の家は裕福な家庭ではなくて、友だちもいなかったし、学校もおもしろくなかった。小学生のときから、生きるって何だろうとずっと考えていました。小学4年生の時に、担任の先生がアフリカの難民のビデオを見せてくれたのですが、そのとき初めて地球の裏側に戦争や飢餓があること、生きていくのに大変な人たちがいることを知りました。
─ 自分の境遇と比べて、その違いに驚かれた。
山中 自分はぜいたくを言っているんじゃないかと思いました。中学、高校はずっと引きこもりで、自殺願望もあって2回ぐらい死にかけたのですが、アフリカの映像を思い出して、石にかじりついてでも生きてみよう、地球の裏側のことに関わる人間になりたいと思うようになったんです。国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんに相談したら、「川の上流から投げられた子どもを下で救ってあげることにやりがいを感じるかもしれないけれども、上で子どもを投げる人を止める仕事も大事だ」と話してくれました。
外交官を辞退し医師を目指す
─ それで、外交官になろうと決意されたのですか?
山中 戦争や飢餓、感染症といった課題を解決し、国際社会の共通利益、世界平和に貢献できればと思い、外務省の学科試験が通って研修も受けたのですが、二次面接の後に辞退しました。もう30年前の話ですが、当時はアメリカ、ロシアといった大国との外交が日本の国益につながるという方針でしたから、自分のやりたいこととは違うと感じました。
─ そして医師を目指した。
山中 そうです。大学で法律を専攻したのですが、卒業後すぐに群馬大学の医学部に編入学しました。こう見えても、人付き合いが苦手ですし、向上心がない(笑)。
─ 向上心がない人が外交官、医師、アフリカ支援とは結び付きません。そこが興味深い(笑)。
山中 医者として、一人ひとりに向き合うことで、自分が生きる意味があると思いました。
─ どんな学生生活でしたか。
山中 そもそもお金がなかったので、大学の学費も自分で捻出しました。医学部時代、母親が末期がんを患ったこともあり、1年間休学して、新宿の歌舞伎町でキャバクラのスカウトをやって年間1500万円ぐらい稼いでいました。
─ やり手のスカウトマンだったんですね!(笑)
山中 はい(笑)。彼らは、皆何かしら事情があるんです。そこに偏見なく寄り添って関われたことは大きかったですね。
ケニアで生きる意味を実感
山中 大学を卒業して医師免許を取って、たまたま街中のカフェで出会ったのが、NPO法人「少年ケニヤの友」の岸田袈裟さんでした。何をしているのかと聞かれて、「医師の資格はあるのですが、どうしようかと思って」と言ったら、「ケニアに来なさいよ」と言われて、1カ月後に行きました。
─ 緒方貞子さんといい、岸田袈裟さんといい、すごい出会いですね。
山中 まずはナイロビの病院で医療を勉強して、その後、車で8時間ほどのビクトリア湖周辺の離島に行かされました。水道も電気もないところに2年ほど滞在しました。
─ いきなり行って、コミュニケーションはどうしたのですか?
山中 外交官試験を受けているのに英語が下手くそで(笑)、スワヒリ語は日常会話を何とか覚えました。日本人で来たのは初めてだったようです。
─ 病院はあったのでしょうか。
山中 ODAでつくられた病院はありましたが、医療従事者がいないから廃墟のような状態でした。この地域はHIVの罹患率が42%で、両親をエイズで亡くして孤児が学校に行けずに働くという悪循環だったので、地域住民と一緒に病院を清掃して、HIVの検査施設や看護師の教育施設をつくりました。アフリカでは、自分が生きていることで人との縁がつながって物事が動いたり、誰かが幸せになったり、誰かの痛みに寄り添える。生きていて良かったと思えましたね。
─ そして、アフリカから戻られて、今度は松阪市長に転身されました。
地域住民が役割と責任を持つまちづくりを実践
山中 当時の松阪市は、与野党相乗りの宝船方式で40年近く実質的な選挙がなく、市民の意向を無視した大規模事業がどんどん進められている状況でした。
松阪市では医療活動や障がい者団体の理事をやったり、市民団体の勉強会にも参加していたのですが、市政の進め方に問題があるという声が多かった。ある時、行きつけのバーの店主と話していたら、「山中さんが出たらいいじゃない」と言われたんですよ(笑)。市長選挙の2カ月ぐらい前のことです。32歳の若輩の泡沫候補で、後援会組織も何もないスタートでしたが、最後は1000人を超える人が駅前に集まってくれました。
─ 組織票ではなく無党派層、自分たちで変えようという市民の力ですね。
山中 そのとおりです。介護保険料、駅前の再開発、保育園の民営化、市民病院の経営など、政策を決める時には必ず、市民の意見を聴く場を設けました。だから政策決定の時間軸は遅くなるし、賛成派・反対派が目に見えるわけですが、民主主義を具体的なかたちにしたかったんです。
─ まさに溜まっていたマグマが爆発した感じですね。
山中 議員からは「なんでいちいち市民に聞くのか」と反対されましたが、直接民主制で選ばれた市長を、間接民主制で選ばれた議員が反対するのはおかしな話ですよね。地域自治、住民自治を大切にしたいと、43の地域で2~3年かけて住民協議会をつくりました。行政の予算は、自分たちや子どもたちの将来のためのものですから、効率よく使うためにみんなが知恵を絞り、行政と市民が連携して汗を流す。地域の住民が役割と責任を持つのが民主主義ですし、大事なことだと思います。
─ 住民自らが役割と責任をもってまちづくりに関わる。アフリカでの経験も生かされていますね。
山中 共に汗を流すことはアフリカで学びました。観光看板やマップも市がつくるのではなく、地域住民が愛情をもって工夫しながらつくることで、みんなが地域について考えることができます。市長も毎晩各地域に出向いて、地元の意見を聴き、共に汗を流して、2期目も圧勝でした(笑)。33歳で市長になりましたが、40歳で辞めようと決めていました。
自宅で看取る在宅診療を目指す
─ それほどの人気であれば、続投の声も多かったのでは?
山中 辞任の記者発表したときは、議会のせいではないのかと、議会に対するリコール運動も起こりました。辞めようと思ったのは、医者に戻りたかったからです。以前から在宅診療をやりたいと思っていました。当時病床数や医療費の削減が言われ続けていましたが、そもそも地方都市では受け皿がないので、医療計画の立案も難しい。病院ではなくて、家で患者さんの看取りができる体制は絶対に必要だと思っていました。
日本は先進諸国の中でも在宅での看取りの割合が一番低く、病院での看取りが8割です。家族への配慮や介護の負担といった心配をなくして、苦しみや痛みも緩和して、自宅で最期を迎えてほしい。こうした思いと、医療技術、介護体制をきちんと整えた在宅医療を目指そうと思いました。
市長を辞めて、四日市市の在宅診療所で1年半ほど勉強させてもらってから、江戸川区で開業しました。初めは一人でやっていたのですが、8年ほど前にしろひげ在宅診療所を立ち上げました。
24時間、365日 どんな病気でも断らない
─ どのような体制で運営しているのでしょうか。
山中 ドクターとスタッフは全員常勤職員です。24時間365日、どんなに重い病気でも、どのような生活環境でも断ったことはありません。生活保護世帯が3割ほどで、精神疾患があってどこにも受け入れてもらえない、病院にも行けないから、自宅で診てほしいという方もいます。
─ 手術はどうするのですか?
山中 病院と連携していますから、手術や画像診断などはお願いすることもありますが、人工呼吸器の管理、がんの疼痛管理などはもちろんやりますし、難病など病院でも珍しい重度疾患にもしっかり対応しています。多様な疾患を抱えている患者さんにも、専門外だから別の外来を受診して、と言うのではなく、私たちで完結できる医療はすべて行ないます。
─ 毎朝全員でミーティングされているそうですね。
山中 毎朝8時から9時まで、医療職だけではなくて介護職、ドライバーも含め200名ほどが集まって、患者さんについての情報を共有します。診察での変化、夜間対応の状況、ドクターが不在の場合は随行の看護師や介護士、相談員が現状報告します。障がい福祉事業もやっていますので、その報告もあります。朝のミーティングは、一人ひとりの患者さんに対して全員でしっかり向き合う大切な時間です。
いま1500人ほどの患者さんを受け入れていますが、在宅診療所としては日本で最大規模です。昨年は300人の看取りをさせていただきました。最期を迎える時に、在宅でも安心して任せていただけるよう、日々努力しています。

─ 患者さんにとっても家族にとっても心強いですね。
山中 最近は、医師のワークライフバランスで日中と夜間を分離したり、往診を代行したり、夜間はコールセンターで診るという在宅診療所も増えてきていますが、例えば重症度の高い患者さんが自宅で最期を迎える時に、日ごろ診ている常勤のドクターならば看取れますが、コールセンターで受けて夜間のアルバイトのドクターが行っても救急車を呼んで病院に搬送になってしまうでしょう。そうなると在宅診療は補助的なもので看取りまで行なう覚悟がないと思われて、病院からの信頼もなくなってしまいます。
─ 看取りまでの覚悟があって初めて安心できる在宅診療になる。
山中 私たちは江戸川区で、生活支援から看取りまで徹底して行ないます。逆に江戸川区だけで手いっぱいですから、われわれのような「しろひげマインド」を持つ診療所が全国に拡がるといいなと思っています。これまでに10人以上のドクターが卒業して、長野県や熊本県で実践しています。
引きこもりや不登校児を見守り伴走する
─ 精神疾患の患者さんも3割ほどおられるそうですね。
山中 3、4年ほど前から依頼が増えましたね。今は100名を超える引きこもりや不登校の人たちを診ています。医療だけではなく、栄養士、訪問看護師、精神保健福祉士といった資格を持つスタッフが「しろひげファミリー」としてチームでサポートしています。
─ 「がんばれ」と言ってはいけないと言いますが。
山中 登校刺激をしてはいけないから「今のままでいい」という傾向がありますが、「がんばれる範囲でやってみよう」「一歩前に出てみよう」という声掛けは必要です。家族だけで解決できない問題は、「しろひげファミリー」が家族のように見守りながら伴走する。地域のさまざまな人たちが、家族の代理のような形でサポートする。そういう体制づくりが大事だと思っています。
─ 頼もしいですね。ただ実践には困難が付きまといそうです。
山中 やり抜くには、覚悟を持ち、目指すべきものが何かをきちんと理解しておく必要があります。専門職の人ほど、「これは自分の仕事ではない」とテリトリーを決めたがりますが、まずは人としてできることを考え、関わることが大切だと思います。
関わる人すべての幸せにも寄り添う
─ 山中さんの考える「しろひげイズム」をどのように浸透させているのでしょうか。
山中 OJTですね。現在当法人には年間で500名ぐらいの応募があります。入職の条件として大事にしているのは、謙虚さと言葉遣いです。私たちの仕事は他者がいることが土台ですから、その人の価値観を受け入れるということを前提にできるかどうか。表情や態度ひとつで、人を幸せにしたり、嫌な気持ちにさせてしまうことがありますから、患者さんに対してだけではなく、われわれスタッフ同士も互いに意識しておかなければなりません。
─ それを言い続けるためにも、毎朝のミーティングは大切なんですね。
山中 はい。誰かが見ているから、ではなくて、やはり常日頃の言葉遣いや態度が表に出ますから。これは自分への戒めでもあります。

─ 地域住民の関与や役割は?
山中 1階のスペースでイベントを開催したり、地域の方が医療や介護について気軽に相談できる窓口も設けています。江戸川区で在宅診療所をやりながら、この地域で困っている人には医療にこだわらず、何でもやりたいと思っていますし、関わる人の生活や幸せにもじっくりと寄り添いたい。だから医療や福祉、生活の悩み事以外でも、しろひげに相談していただきたいし、ここに来れば、楽しみながらいろいろな人と交流できます。
─ 地域住民の居場所でもあるのですね。
山中 区の児童育成支援拠点として「たゆらんど」も開所しましたし、引きこもりの人が安心して過ごせるスペースとして「駄菓子屋居場所 よりみち屋」や、介護付きや車椅子での外出をサポートするサービス、B型就労事業所もあります。採算性の観点から言えばすべて赤字ですが、在宅診療所だからできることはきちんとやって、地域の中で責任を果たしていきたいですね。
─ 最後に、今の課題や夢についてお聞かせいただけますか。
山中 よく聞かれるのですが、ないんですよ(笑)。目の前に患者さんがいて、自分が役に立てればいい、手伝えることがあれば関わりたいと思うだけなんです。今、私自身は、がんの終末期、精神疾患や引きこもりなど100人以上の患者さんを診ていますが、そのことによって自分が生きている、生かされていると実感しています。必要とされているからがんばれます。
─ 診療所なのに患者さんがいない。子どもたちが遊んだり、そのそばで休憩中のスタッフがいたり、不思議なクリニックです。そして、思わず立ち寄りたくなる。そのための極意と仕掛けを見せていただきました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会 理事長 髙橋陽子
(2026年4月8日 しろひげ在宅診療所にて)