子どもたちの笑顔と幸せのために─「赤メガネ食堂」のチャレンジ

南海キャンディーズ
山里 亮太さん

やまさと・りょうた

1977年千葉県生まれ。関西大学文学部教育学科卒業。3年次から吉本総合芸能学院(NSC)に通い、2003年に”しずちゃん”こと山崎静代さんとお笑いコンビ「南海キャンディーズ」を結成。2004年「ABCお笑いグランプリ」優秀新人賞をはじめ、多くの賞を獲得。タレント、司会者、声優、ナレーター等としてテレビ、ラジオをはじめ、多数のレギュラー番組を抱える。妻は俳優の蒼井優さん。著書に『山里亮太短編妄想小説集「あのコの夢を見たんです。」』(東京ニュース通信社)、『天才はあきらめた』(朝日新聞出版)ほか。

子どもたちに給食を配る、横田宗さん(左)と山里亮太さん

2025年8月、フィリピン・マニラの公立小学校に給食センターと食堂が開設された。発起人は山里亮太さん。現地で子どもたちのために活動するNPO法人アクション代表の横田宗(はじめ)さんとタッグを組み、栄養失調や発育不良の子どもたちの給食支援を開始。食事だけではなく、未来への希望と笑顔も届けたい。「赤メガネ食堂」に込めた決意とチャレンジについて、山里さんに聞いた。

横田宗さんとの出会い

─ 山里さんがフィリピンで子ども食堂を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

山里 妻の友人がJICAで仕事をされていて、そのご縁でフィリピンに取材に行くことになったんです。金曜日の朝の生放送終了後すぐに飛行機に乗って、日曜日までの短い期間でしたが、スラム街や家庭内暴力から逃れてきた子どもたちのシェルターなどを訪問しました。そのときに現地で活動しているNPO法人アクションの横田宗さんに出会って刺激を受けて、自分に何かできないかという思いが生まれました。
これまでも子ども食堂も含めて寄付をしていましたが、「お金を出す」ことである種の達成感があったものの、何か物足りなさも感じていました。現場に行っていろいろな人たちの話を聞いて、もっと具体的に動きたいと思ったんです。

─ 私も横田さんに初めて会った時には衝撃を受けました!(笑)そして、まさに現場に解あり、ですね。芸能関係で寄付をされている方は多いと思いますが、表立ってしまうと、あちこちから「うちにも寄付してくれないか」と声がかかったり、売名行為だと言われたり。難しいこともあるのではないですか。

山里 「赤メガネ食堂」はいろいろな人の助けが必要ですから、「やっています」とあえて言うことで助けてくれる人が増えればいいと思っています。実際に、「いいことだからどんどん広げてほしい」と応援してくれる人もいますし、寄付してくれる後輩もいます。宗さんは人を巻き込んでいく力があるし、パワフルですから、僕は一生懸命に食らいついて、いい意味で巻き込まれて一緒に何かやりたいなと思っています。

子どもたちの笑顔に関われる幸せ

─ 巻き込まれてうれしい、という感覚ですね。人生が変わったという気持ちですか?

山里 大きく変わりましたね。これまでは国内でかかわった人たちの笑顔につながれば、と思っていましたが、遠く離れたフィリピンの子どもたちの笑顔につながることに自分が関われている。自分の生きている意味や意義が倍になったような気持ちです。幸せになってほしい、笑顔になってほしいと思う人たちの数や関わる場所が圧倒的に増えたことに、僕自身が幸せを感じています。

─ 関わりが重なり合っていくことで、世界が広がり、いい循環を生みますね。

山里 「赤メガネ食堂」によって、関わった子どもたちが給食を食べられるようになって、学校に行けるようになって、勉強が好きになる。勉強して、いずれ研究者になって、その研究の成果が、ひょっとしたら日本の子どもたちが壁にぶつかったときに助けてくれるカギになるかもしれない。そんなふうに思っています。

自分事としてできることをやる

─ でも、なぜ日本ではなくフィリピンなのかと言われませんか?

山里 はい。すごく言われます。日本にも困難な子どもたちがいるのに、日本の子ども食堂をどう考えているんだとか。でも日本だろうと海外だろうと、自分事としてできることをやるのが大切だと思うんです。日本は人口減少でどこも人手不足の状況ですが、フィリピンの人たちはヨーロッパで働くほうが稼げるのに、日本で働くことを選択肢に入れてくれている。ありがたいですよね。フィリピンの人たちが、あの橋や電車は日本がつくってくれたんだよ、と説明してくれる。僕がつくったわけではないのに、日本人だから、と感謝してくれるんです。

─ 誰かから受けた恩や親切を、直接その人ではなくて、別の人に送っていく。

山里 そうですね。関わる誰かに恩を送る。世界中のあちこちで恩送りができれば、日本だけにこだわらなくてもいいのではないかと思っています。

─ 山里さんご自身にお子さんが生まれたことは大きいですか?

山里 はい、子どもに対する感度が敏感になりました。毎朝、情報番組を担当していますが、子どもの被害や虐待といったニュースに接すると、胸が苦しくなります。それと、妻は娘の友だちに対しても、自分の子どもと同じように全力で接するんです。その姿を見ていてすごいなと思いました。フィリピン取材のきっかけをつくってくれたのも妻ですし。

─ 愛情深い、素敵な奥様ですね。今回の「赤メガネ食堂」について、奥様はなんとおっしゃっているのですか?

山里 特になにも。そうなんだ~、という感じです(笑)。

─ 自然体なのですね。思っていた通りの方だった!

継続できる規模で始める

─ いよいよ「赤メガネ食堂」ができあがって、どんなお気持ちでしたか?

赤メガネ食堂で給食を食べる
子どもたち

山里 廃墟のような場所だったのですが、わずか5カ月ほどで完成しました。子どもたちが「おいしい」と給食を食べる姿を見て、本当にうれしかったです。ただ同時に、これを守っていかなければならない。立ち止まってはいけない。必要なところにこうした施設をつくっていこうという目標ができました。やはり継続してこそ、ですから。スタートしたことの感動と同時に、緊張と責任で身が引き締まる思いです。

─ 続けることは大切ですが、かつ難しい。これからが正念場で、醍醐味でもありますね。毎日100人の子どもたちに給食を提供しているそうですが、どうやって選んでいるのですか?

山里 まずは、一番重いランクの栄養失調の子どもたちです。学校全体では何千人という数ですから、たったそれだけか、と思われるかもしれませんが、その100人が健康になったら、次に重いランクの子どもたち100人になる。ゆっくりでもみんなが元気になればいいと思っています。一気に1000人ぐらいでやる方法もあるかもしれませんが、一時的にできたとしても続けるとなると大変ですから、このぐらいの規模がいいと考えました。

地域で子どもたちを応援する

─ 山里さんたちの活動を見て、地域の大人たちも変わったのではないですか。

山里 地元の大工さんが無償で手伝ってくれたり、卒業生だという近所の農家が野菜や卵をくれたり、交流も生まれています。そういう話を聞くと、単純に100人の子どもたちが潤うだけではなくて、誰かを助けようという動きにつながっている。それはすごいことだと思います。この8月で1年経ちますが、100人の子どもたちが健康になって成長している姿を見るのが楽しみです。

─ 毎日というのがすごい。夏休みも提供しているのですか?

山里 夏休みも、課外授業で学校に来た子どもたちに提供しています。学校に来て、課外活動をすれば、給食を食べられる。データもきちんと取っていますので、効果も検証できます。活動を積み重ねて、ほかに必要としているところにまた食堂をつくっていく。いずれ制度やシステムができて、フィリピンだけではなくいろいろな国に広がればいいなと思っています。

─ 卒業生含め、地域住民も関わって、共に助け合って行動していく。そうやってコミュニティをつくっていくというのも大切ですね。

山里 みんなから応援してもらった子どもたちが、卒業して大人になって、コミュニティを応援する側にまわったり、恩送りでいずれ日本とも関わってくれるといいですね。先日、ミンダナオ島で大きな地震がありましたが、本当に心配だし、何かできることはないかな、とすぐに思います。他人事じゃなくなるんですよ。そう思えるのは、やはりフィリピンに友だちができて、「赤メガネ食堂」に関わる人が増えたからこそ、です。そしてそのことが本当に幸せだと思っています。

赤メガネ食堂で給食を食べる子どもたち

─ 「赤メガネ食堂」の給食を食べて健康で元気になった子どもたちが、今度は自分が誰かのために行動するというつながりができるといいですね。

山里 まずは、フィリピンの「赤メガネ食堂」で、子どもたちが元気で笑えるようになってほしい。それを見ることができれば、純粋にうれしいですね。時々、写真や動画を送ってもらいますが、みんな楽しそうに食べています。

誰かを否定するのではなく 
自分でできることを考える

─ 日本の子どもたちを取り巻く環境については、どのように感じていらっしゃいますか?

山里 日本の子どもの自殺率が過去最高になったという報道に、とんでもないことが起きていると驚いています。政府が「こどもまんなか」を掲げていろいろなプロジェクトをやっていますが、そんなペースでだいじょうぶなのだろうかと正直思います。でも政治や行政が悪いという方向に行くのも違う。誰かを否定するのではなく、自分でできることは何かを考えたほうがいい。シンプルなことですが、泣いている子ども、一人ぼっちでいる子どもがいたら、声を掛けられるか。何かあったときに、子どもたちが「助けて」と言える相手が大人ですが、自分自身がそういう大人になれていただろうか。そういう大人たちがいる社会をつくれていただろうか、と自問しています。

─ 同感です。以前、子ども・児童専門の精神科の先生が、子どもたちの人生がどんなに過酷であっても、身近に親身に考えてくれる大人、応援してくれる大人がいることが、子どもががんばれるかどうかの大きな要因になるとおっしゃっていました。

山里 以前番組で、ヤングケアラーを経験した方と話をさせてもらったのですが、自分が異常な環境で過ごしていたんだということを気づかせてくれたのは、近所のおせっかいおばあちゃんだったそうです。「おせっかいが、自分を救ってくれた」と。

─ 当協会では、横須賀の久里浜少年院で花育(※)をやっています。職員から「ありがとうと言われたことがないので、ありがとうと言われる体験をさせてあげたい」と言われて始めた活動です。再犯率が高い理由のひとつは、帰るところがないことです。親が拒否したり、親のところには帰りたくないという子もいます。あるとき、「僕が小さいときに、お母さんを助けてほしかった」と言った子がいたのですが、それを聞いて、親御さんへの支援や応援も、子どもへの応援として大切なんだと思いました。関わらせていただきながら、学んでいます。

山里 シングルマザーの家庭が経済的困難にあることは明白ですが、対策の優先順位が低いですよね。最近は若者の犯罪が問題視されていますが、それは大人たちが無関心だからではないか。無関心が引き起こしていることだとすれば、関心を持てば変えられるはずで、難しいことではないと思います。国会での質疑を見たときに、きちんと国民のために話し合ってくれているのか、と考える。気を配れば救える命があるし、犯罪も減らせるかもしれない。子どもたちにとっていい地域ができる。文句ばかり言っていても、いい社会にはならないでしょう。子どもたちの笑顔のために、大人が関心を持つ社会になればいいですね。

─ 小さくても一人ひとりが動くことで、大きな力になります。「赤メガネ食堂」がきっかけになって、日本とフィリピンの子どもたちの交流ができたらいいですね。今後が楽しみです。

【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会 理事長 髙橋陽子
(2026年6月10日 東京都港区内にて)

(※)「花育」は、花を教材に生命の大切さや他を思う心を実感し、自己有用感・自己肯定感を高めることで非認知能力を醸成する活動。JPAでは2019年度より久里浜少年院在院生による「花育」をサポートしている。 久里浜少年院での「花育」について


山里亮太さんとの出会い、そして「赤メガネ食堂」


NPO法人アクション代表 横田宗さん

NPO法人アクションの活動のビジョンは、「生まれ育った環境に関わらず、夢に向かってチャレンジできる、子どもにやさしい社会」を実現すること。私は高校3年生の時にフィリピンを訪れ、その後NGOを設立し、以来32年にわたり、現地の孤児院や少年院の子どもたちの自立支援、国の福祉政策の策定、全国での交通安全啓発など、地域社会に根ざした活動を続けてきました。

その中で現在、特に力を注いでいるのが、マニラ首都圏ナボタス市の公立小学校における「赤メガネ食堂」の運営です。

この地域は漁業で生計を立てている世帯が多いのですが、生活は楽ではなく、海の上にスラムが広がるなど、マニラの中でも貧困地域として知られています。市内の他の地域に比べて慢性的な栄養不足の子どもたちの割合が高く、深刻な地域課題となっています。「赤メガネ食堂」では現在、月曜日から金曜日まで、年間を通して、栄養不足に直面する100名の子どもたちに、バランスを考慮した温かい給食を提供しています。

このプロジェクトを開始するきっかけとなったのが、タレントの「山ちゃん」こと山里亮太さんとの出会いでした。JICAの取材で現場を訪れた山ちゃんは、有名人という壁をまったく作らず、子どもたちと同じ目線に立って真っ直ぐに向き合ってくれました。そして別れ際、「僕にできることはありませんか?」と言ってくれたのです。以来、私が日本へ出張するたびに2人で子どもたちのために何ができるかを語り合い、彼は多忙な仕事の合間を縫って、フィリピンへ何度も足を運んでくれました。彼の姿を見ていると、「忙しいから」というのは、本当の熱意と想いがあれば出てこない言葉なのだとさえ気付かされます。

山ちゃんのトレードマークである「赤メガネ」は、今や私たちの活動のシンボルです。大鍋から湯気が立ち上る中、子どもたちが嬉しそうに順番を待ち、配られた食事を夢中で頬張りながら、「サラマッポ(ありがとう)!」と満面の笑みを見せてくれる瞬間。これまでさまざまな国で活動をしてきましたが、子どもたちの笑顔の輝きは、国や文化を越えて世界共通のものです。

しかし、こうした活動は、私や山ちゃんだけの力では決して成り立ちません。一過性のイベントで終わらせず、継続的な仕組みとして社会にインパクトをもたらすためには、多くの人々を巻き込んでいくことが不可欠です。現地の行政との連携はもちろん、企業や有志の支援者の皆様を巻き込み、それぞれの強みを活かした協力の輪を広げています。一人ひとりの力は小さくても、対等なパートナーとしてつながることで、支援の枠組みはより強固なものへと成長していきます。

現場でじわじわと広がる喜びの連鎖を目の当たりにするたび、私の胸には山ちゃんと出会ったあの日の原点が鮮やかによみがえります。私にとって国際協力や社会貢献とは、目の前の誰かを笑顔にし、その温かい輪を企業や社会全体へと広げていくことだと思っています。山ちゃんとは、子どもたちの夢を応援する新しいプロジェクトを計画しています。これからも多くの仲間たちと手を取り合い、子どもたちが安心して暮らせる優しい社会をつくっていきたいと思います。